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バイクの後ろにまたがって眺めるサイゴンの街は、まったく違った表情を見せる。バイクのスピードが、めまぐるしく変化するこの街の速度に最もふさわしいからなのか、視線が街と完全にー体化するのである。
女子高生たちが、純白のアオザイ(民族服)を風になびかせて自転車を走らせていく。たまたまバイクの速度と合って、ぴたりと並走する形になったりすると、下心など少しもないのだが白鳥のようなうなじに見とれてしまう。女子高生たちは、私の視線にも気づかぬようで、澄んだまなざしをまっすぐ前に向けている。
シクロ(座席が前についた乗り合い自転車)に客ではなく、製氷室から切り出してきたばかりの氷を、なんとむきだしのまま乗せている車夫とも並んだ。氷の塊は、大汗をかいているかのごとく、すでにだらだらと溶けだしている。それをえっちらおっちら運ぶ車夫の褐色の額にも、玉の汗が浮いていた。
誰もが「ホーチミン市」と言わず「サイゴン」と呼ぶこの街で、私は不動産屋の、どう言ったらいいか”見習い”ということになった。私の前に大きな背中を見せてバイクを駆っているのは、江田要(えだかなめ)さんという38歳の不動産アドバイザーなのである。江田さんと初めて会ったとき、私はプロレスラーが来たのかと思った。180センチ、100キロ、真っ黒に日焼けした顔が「これまたプロレスラーみたいにごつい。華人が経営する不動産会社で、日本人顧客向けのアドバイザーをしているというので、仕事ぶりを見せてもらえまいかと頼んだら、駐車場に止めてあった旧式のホンダ・スーパーカブ50を引いて戻ってきた。それから後部座席をぽんぽんと手のひらで叩き、どうぞどうぞと勧めるではないか。初対面の相手のバイクにいきなり乗せてもらうのも気が引け、それに最初からタクシーで移動するつもりでいたので、その旨を伝えると、江田さんはなんだか勘違いをしたらしく、
「バイク、怖いですかぁ?」
にこっとして言った。その笑顔が、実によかった。いかつい顔がふにゃりと崩れて、ひとなつっこさが溢れ出んばかりだった。遠慮なく私は、バイクに同乗させてもらうことにした。 「ベトナムに釆て3年で、15キロ太りました。ベトナムに来て太ったの、僕くらいじゃないですか」
バイクを走らせながら、ほがらかに江田さんが話しかけてくる。
「野村さんは、何キロですか?75キロ?それじゃ僕と合わせて、ベトナム人4人分だわ」でへへっと今度は声をあげて笑うのだった。
平成の日本に突如として”ベトナム・ブーム”が巻き起こったのは、今から四、五年前だったろうか。「ベトナム沸騰」「メコンの奇跡」「地上最後の投資の楽園」…、ベトナム関連本が書店に並び、新聞・雑誌は競って特集を組んだ。私もその頃ベトナムで、何人もの在留邦人から「アセアン諸国に追いつくのは時間の問題」という声を耳にしている。次に訪れたとき、ベトナム・ブームはすでにー段落していたが、アメリカとの国交正常化直後でもあり、さあこれからが本番といった期待感がまだ漂っていた。
ところが先頃、二年ぶりに再訪したベトナムで会う日本人たちの口から洩れるのは、愚痴と溜め息ばかりなのである。
「もうこの国はダメ。上から下まで腐りきってる。永遠の三等国ですよ」
「資源大国も人材大国も、ぜんぶ幻想。識字率が高いといったって、そんなもん、単にABCが読めるだけ」(ベトナム語は基本的にアルファベットで記される−筆者注)
「あーあ、なんでこんなとこ来たんやろ。ベトナム・ブームをさんざん煽ったマスコミにも、『どないしてくれんねん』と言いたいわ」
ブームの最中からベトナム研究者の多くは、ベトナムへの過剰な期待が裏切られた場合の反動を危ぶんでいたものだが、それにしてもこの落差はただごとではない。「どないしてくれんねん」と関西弁で嘆いていた中年男性は、日本円で三千万円を投資して飲食店を開業したものの、店はおろか持参金の大半までなくしていた。
「ホイロー(賄賂)」のひどさは、聞きしにまさるものだったという。店の建築申請から営業許可まで、そのつど監督官庁の役人たちに袖の下を渡さねば、物事はいっこう前に進まない。日本人のあいだで「ヤクザの地回りとー緒」と評判の悪い公安も、一回につき三十USドル(約四干円)ものコミッションをたかりにくる。住み込みのお手伝いさんの月給が四、五十ドルのサイゴンで、これは法外な金額である。
敵は外にあるばかりではない。開店前から、従業員たちが店の食器や米や食用油などを少しずつ少しずつ持ち出していた。買い出しのときなど、自分たちの家族が食べる分までちゃっかり買い込んでいた。
「ク・チ(ベトナム戦争中の地下トンネルで有名なサイゴン北西の村)とー緒ですわ。やつら、ク・チやなくてキッチンにも穴を開けよるんです(苦笑)」
レストランなどの個人営業を外国人が行うのはご法度なので、この日本人男性もサイゴンで知り合ったベトナム人女性(早い話が愛人)の名義で店を出したのだが、商売が立ち行かないのを見るやいなや、彼女はにわかに冷淡になり、店の権利は自分のものだからどうしようと勝手だと言いだした。法律上はその通りなので、日本人には手出しのしょうがない。結局、店を乗っ取られる形となり、彼は「なんでこんな目に遭わなあかんねん。わし、ベトナム人にそんな悪いことしたか」と慨嘆しつつも、しかしこのまま引き下がるのはどうにもしゃくだから、「元を取るまでは絶対に帰らん」とサイゴンに居続けているのだった(そうやって、さらに傷口を広げるものなのだが…)。
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